コスモスこども園

まえだSVの伝言板、第3回目は…

『豊かなコトバの世界と豊かなこころ(2)』
    ~「右手(左手)のしるし」~

です。
 7月の磯遊びで「きりん組」が仕掛けて以来、「ぞう組」、
「らいおん組」でも「スイカ割り」が8月中の大人気の取り組みとなりました。
目隠しされた子どもが竹の棒を持って行先不確かなスイカにたどたどしい歩みで向かいます。それを友だちが口々に必死に応援して助けます。「頑張れ」「まだまだ」とか、「もう少し前」「あ~あ、ぜんぜんちがう」などと。よく見られる「スイカ割り」の光景が展開されました。そんな中で気づかされた一つの事柄があります。それは、「右」「左」というコトバの理解が子ども達の世界にまだしっかりと根づいていないということでした。「もっと右に」と応援する声はほとんどありませんし、先生が「**ちゃん、もう少し左よ」と応援してもその通りに正しく動けた子どもがほとんどいなかったからです。
 「左・右」というコトバの理解は、同じように空間、方向を示すコトバの「上・下」や「前・後」よりも子どもにはずっと難しいことのようです。左右の区別の拠り所とするものが「前後」「上下」と違って曖昧なのがその理由でしょう。難しく言えば、「右とは何ぞや」「左とは何ぞや」に応えて定義することが出来ないからなのです。
 発達診断的に言えば、自分の「右手・左手」の区別が言えるようになるのは5歳ごろで、「右の方」「左の方」を理解できるのはもう少し後になってからです。左右を区別する基準として使えるのは、身体感覚、運動感覚(記憶)の違いしかありません。だから、昔の人が「おはしを持つ方が『右手』、お茶碗を持つ方が『左手」』と教えてきたのもそういう理由からでしょう(生活様式が異なったことや、「利き手文化」の修正からこのような教え方はしなくなってきました)。やっかいなのは、自分の左右が理解できても向かい合う人の左右が反対になる事がわからずに混乱してしまうことですね。こちらの方を自然に理解できるようになるのはおおよそ8歳ぐらいになってからと言われます。


 こうした中で、随分昔に私が研究で訪ねた埼玉県新所沢のある幼稚園では、「左右理解」に関する興味深い取り組みを進めていました。研究に協力してくれた園児たちや職員のみんなが、右手に輪ゴムをはめているのです。子ども達に聞いてみると、それは「右手のしるし」だったのです。その園では、園の生活中(或いは家庭でも)子ども達は右手に輪ゴムをはめて暮らしていました。この「しるし」によって、上に述べました左右での「運動感覚」記憶の違いを日常的に「コトバ」と結びつけることで、自己の左右理解がしっかりしますし、さらに一歩先の相手の左右についてまで理解できるようになります。


 「右・左」というごく身近なコトバ(空間概念)ですが、自分の身体を含めて何らかのものを基準にして目前の世界を二分して捉えるという、世界に対する認識を大きく広げるという画期的な「変化」が子どもの内面に生み出されることになるのです。 「右手(左手)のしるし」をお家でも試してみませんか?
ニュースTOPへ戻る